LIME研究会

﨑元です。今日のブログは、LIME研究会や我々が所属している組織の見解を反映するものでなく、あくまで一個人の意見(というより雑感)ですので予めご了承ください。

昨今の様々な不正・疑惑によって臨床研究がネガティブな側面で捉えられるようになったのは非常に残念なことです。しかし、私たちがいま実践している医療というものはすべからく大なり小なり過去の臨床研究を基盤としていることは間違いありません。そして、私たち医療者は、過去の先人たちの努力の結果を享受するだけでなく、よりよい診断・治療・予防法を未来に遺す必要があります。そしてもしその医療者が大学という研究機関に身を置くものであれば臨床研究を行い新しいことを発信することは義務ともなります。

臨床研究が患者さんを対象とする以上、その研究に問題がないか確認をする必要があり、そのために倫理委員会が存在します。倫理委員会で問われるのはその研究の「倫理性」と「科学性」です。

臨床研究を特徴づける言葉として「potentially harmful」という文言がよく言われます(対する文言として一般診療の「First, do not harm.」)。介入性のある研究による直接的な身体侵襲だけでなく、プライバシーや医療費負担、時間的拘束などの負担・不利益を患者さんに強いる可能性が臨床研究にはあるわけです。「倫理性」とはこのようにいろんな側面において患者さんに不利益とならないかを審査します。

しばしば問題となる臨床研究の「科学性」については、その研究の最終的な科学的審査を担うのは、その研究が形となった暁の論文のレフリーということになります。ですが、あまりにプロトコールがずさんで最終的にその研究が成立しえないような状況に陥った場合には、それまで参画してくれた患者さんにも不利益となります。従って最終的な患者さんの不利益とならないよう、実現可能性という蓋然性があるのか(特に目標症例数)プロトコールの内容にも審査をせざるを得ないのです。

倫理委員会では、医療者が医療者を審査するだけでは不十分であり、倫理的な面だけでなく利益相反状態の判断を法律専門家に、患者さんの立場に立った審査として一般の方にそれぞれ参画いただき審査をしていく必要があります。

小生も病院倫理委員会の幹事を担当してまもなく6年になろうとしています。ますます厳しくなっていく規制のなかで、できるだけ研究者に寄り添った審査をしたいというのが個人的な心情です。一方で、今でも学会に出るとちゃんと審査を受けたのかと疑いたくなるような倫理性に欠けた研究もまだ罷り通っている施設もあるようです。医療者が同じ医療者を審査するというのは時として良い感情を励起するものではありません。一方で、科や領域が違うとその領域の事情がよくわからないというジレンマにも遭遇します。これから研究を始めたいという他科の大学院生や若い先生の臨床研究を審査する際には、まるで後輩の論文・研究指導をしているような気にさせられます。倫理性と科学性を担保しつつ、それでもできるだけ自分の病院発の臨床研究が一つでも多く成就して欲しい、そんな思いを頂きつつ脱字や空欄だらけの提出された研究申請書を溜息交じりに修正する日々なのです。